三信興業社長の清水です。
JR蒲田駅の東口を出て西側に行くと、 国道第一京浜へと続く呑川を渡る橋を「あやめ橋」といいます。
欄干にはあやめの加工がされていますが、 周囲にそれらしき風景は全く見当たりません。
では、なぜ「あやめ橋」という名前がついたのか。 今日は、その歴史を少しご紹介します。
今はその姿も見られませんが、 江戸時代から明治にかけて、 この周辺はあやめで一杯だったそうです。
堀切菖蒲園の花菖蒲(アヤメ科)は有名ですが、 昔は西側のあやめとして蒲田が有名でした。
江戸時代の武士たちが物見遊山で蒲田を訪れ、 河川敷一帯に咲くあやめを愛でていたといわれています。
戦後に大森区と蒲田区が一緒になって大田区が誕生し、 河川敷も整備され川の氾濫もなくなりましたが、 あやめはその時に消えてしまったようです。
もともと菖蒲園だったところは東京植物㈱となり、 現在はその跡地に大田区立蒲田小学校が建っています。
昔のあやめ橋から見た呑川は、 きっとあやめの花の紫で染まって綺麗だったことでしょう。 今はその風景が見られないのは少し残念です。 Filed under: 地域情報 2011年8月1日10:03 AM
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