三信興業社長の清水です。
朝晩の風に秋の気配を感じるようになりました。
月初は巨大な台風が日本に豪雨をもたらしましたが、 今年の秋は平年に比べて気温が高く、 引き続き台風が発生しやすいと予測されていますのでご注意ください。
ところで、日本で初めて発掘された貝塚が 大森にあるのをご存知でしょうか。
明治10年、 アメリカの動物学者モールスが電車に乗っていて、 偶然発見したのが大田区と品川区の境にある「大森貝塚」です。
大森貝塚は縄文時代後期~末期のものといわれ、 海岸から1kmほど奥地に広く点在しているようです。
現在は、品川区は大森貝塚遺跡庭園内に、 大田区は大森駅近くの山王にそれぞれ碑を建てています。
実は、ここ池上でも4~5mも掘ると貝の化石が出てきます。 私も小学生のころ、実家の馬込で井戸を掘ったことがありますが、 砂の塊のようなものの中に埋もれた貝の化石が沢山出てきました。
大田区は坂道が多い地形ですが、 貝塚の多くは南傾斜のところから発見されています。
大昔の人は南傾斜のところにお墓を掘ったから、 というのが理由の一つのようです。 Filed under: 地域情報 2011年9月5日10:27 PM
三信興業社長の清水です。
JR蒲田駅の東口を出て西側に行くと、 国道第一京浜へと続く呑川を渡る橋を「あやめ橋」といいます。
欄干にはあやめの加工がされていますが、 周囲にそれらしき風景は全く見当たりません。
では、なぜ「あやめ橋」という名前がついたのか。 今日は、その歴史を少しご紹介します。
今はその姿も見られませんが、 江戸時代から明治にかけて、 この周辺はあやめで一杯だったそうです。
堀切菖蒲園の花菖蒲(アヤメ科)は有名ですが、 昔は西側のあやめとして蒲田が有名でした。
江戸時代の武士たちが物見遊山で蒲田を訪れ、 河川敷一帯に咲くあやめを愛でていたといわれています。
戦後に大森区と蒲田区が一緒になって大田区が誕生し、 河川敷も整備され川の氾濫もなくなりましたが、 あやめはその時に消えてしまったようです。
もともと菖蒲園だったところは東京植物㈱となり、 現在はその跡地に大田区立蒲田小学校が建っています。
昔のあやめ橋から見た呑川は、 きっとあやめの花の紫で染まって綺麗だったことでしょう。 今はその風景が見られないのは少し残念です。 Filed under: 地域情報 2011年8月1日10:03 AM
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